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修験道の歴史

​修験密教

修験道の歴史
修験道の歴史
修験総本庁 総代表 道庭成心
修験道の歴史は、修験道(修験密教)の教えそのものにあります。開祖・役の行者様(えんのぎょうじゃ)より開校されました修験道(修験密教)の教えは、葛城山や大峰山の山々で修行を修め、霊力を感得されて、日本の多民の為に加持祈祷の修法をされ、多くの方々が救われております。まさに密教そのものだったのです。密教の歴史の原点は、それぞれの研究者により違いはありますが、私的には、リグ・ヴェーダ時代(呪文を唱えることにより、すべての災いを祓い幸福を招き入れることを考えてた時代)だと考えております。密呪を使って五穀豊穣や息災延命または病者に対し加持祈祷を行っております。日本に於いてもその要素があります。世界に於いては、シャーマンの人達が加持祈祷の修法を行っております。日本にとっての宗教歴史概念は、まさに山岳信仰にあります。修験道(修験密教)の考え方は日本古来の山岳信仰に始まり、古神道・仏教・密教・道教・儒教などの様々な考えが混じり合体しております。そうした多くの教えにより、全国の山々の神様・仏様に対する祈りにより、全国に修験道(修験密教)は広がり多くの人々が修験者の加持祈祷により救われました。
山岳修行により自然から霊力を体感する
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山岳修行により自然から
霊力を体感する

修験総本庁 阿闍梨 道庭成心(michiniwa joushin)
「阿闍梨」とは、漢字で「あじゃり」と書き、梵語で「ācārya(アーチャーリャ)」という言葉から来ています。一般的には、仏教やインド哲学の教師や指導者を指す言葉として使われます。

日本の仏教界では、専門的な知識を持った上位の僧侶や、学問や修行において優れた成果を上げた僧侶などを指して「阿闍梨」と呼ぶことがあります。彼らは、修行や学問において指導や助言を与え、信仰生活をサポートする役割を果たします。

また、一般的な社会においても、専門的な分野での指導者や教師、師匠としても「阿闍梨」という言葉が用いられることがあります。

山岳修行により自然から
霊力を体感する
山岳修行により自然から霊力を体感する

役行者(えんのぎょうじゃ)は、日本の修験道の創始者とされ、7世紀の人物とされています。彼は、飛騨山脈にある白山(はくさん)の山岳信仰を基盤として、修験道を確立しました。

役行者がどのような経緯で修験道を確立したかについては、諸説ありますが、代表的な伝承によると、彼は古くから日本に伝わる密教の教えを学びに中国に渡り、唐の華厳宗の僧である摩訶衍(まかげん)から教えを受けたとされています。

役行者は、修験者たちに山岳修行の方法や霊的修行法、呪術、占い、薬草の知識などを伝授し、彼らが神仏を信仰する一方で、自然信仰や道教的な要素も取り入れながら、独自の修行法を確立しました。

役行者は、修験道の祖として、多くの修験者たちから崇敬を集め、彼らの間で「役小角(えんのおづぬ)」と呼ばれることもありました。また、白山や各地の山岳信仰の対象としても広く信仰され、今でも多くの人々に敬われています。

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修験道の歴史は、日本独自の霊的修行法であり、仏教と山岳信仰、道教の要素を融合したものです。修験道は、7世紀頃に中国の密教が伝来し、それに山岳信仰や道教的な要素が加わって、独自の形態を形成したと考えられています。
 

修験道は、役行者を始めとする修験者たちが、山岳修行や修行法、呪術、占い、薬草の知識などを伝承し、それが広まっていったことによって、日本全国に広がりました。修験道の修行者たちは、山中や滝壺など自然の中で、厳しい修行を行い、身体を鍛え、霊的な境地に達することを目指していました。
 

中世には、修験道は、武士や庶民に広く信仰され、修験者たちは、独自の文化や芸術を発展させ、山伏や山車など、多くの伝統的な行事や芸能に影響を与えました。
 

しかし、近世に入ると、幕府によって修験道が厳しく取り締まられ、その勢力は衰えました。その後、明治維新によって神仏分離が進められ、修験道も一部は神社として再編され、現在では修験道は、一部の信仰によって伝えられています。

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